有用性
毎日夜を引き延ばそうとしている。それでもいつの間にか朝が来てしまう。昼も夜も、同じことを考えている。私にはなにもできない。できることを探すことすらできない。呼吸が浅く、腹の底が重い。空腹を感じても食欲はない。苦しいと感じることが苦しい。気晴らしの方法も尽きた。むしろ気をそらさずにそのことだけを考えていたほうがマシだ。不意に思考を支配されるほうがつらい。
私は自分の欲望に忠実に生きているので、歯を食いしばって何かを我慢したり、自分の過去の選択に思い悩んだりすることはいままでほとんどなかった。だけれども、今その状況に直面している。
私は詩が好きだ。詩は私を助けてくれたもので、詩の底知れなさを追究することに喜びを感じていた。だが今、これまで私が嫌悪していたはずの「それがなんの役に立つの?」という疑問に直面している。役に立つ・立たないという表現で文学を判断されるのを嫌っていたはずなのに、その刃を自分の中核に向けている。
人生で初めて、ある人の役に立ちたいと思った。いや今までもその人の役に立ちたいとは思ってそうなれるよう努力してきたつもりだったはずなのに、それが実現する前に無力な自分を突きつけられた。あまりにもなにもできなず、まだ何者にもなれていない自分の立場の弱さを実感し、なぜ私は文学を、詩を、やっているんだろうと思ってしまった。こんなことを考えてしまったのは初めてだった。役立たずな自分、役立たずなことしかやってこなかった自分。役に立つかどうかなんてどの角度から物事を見るかで変わるとわかっているのに、今目の前の問題に対処できない自分が悔しくて仕方がない。
自分にできることを考え続けることがこんなにつらいって知らなかった。勇気を振り絞って行動を起こしても未熟さをたしなめられて、なにもしなければよかったと思ってしまう。してもしなくても自分の心の弱さが露見するだけで、どうにもならない。無力だ。
結局私はなにがしたかったんだろう。
詩集を開いて詩を読んでいても、思考を詩の中に沈める前に詩集を壁に投げつけたい気持ちになる。かと思えば詩の一節から過去がフラッシュバックして泣き出すこともある。
なにもしたくない、なにかしたい、なにかできることがほしい。