ナナナの本棚

好きなことを書いたり書かなかったり。

ナナナの「な」はなんの「な」でしょーかっ!!

 

↑の答えわかりますかー?

 

正解は

 

中原中也」の「な」でした!!

 

簡単だよね!!べスフレの人ならわかるよね!!わかるよね!!!ww

 

さてさてブログというものを初めて書いてみているのだけれども、全然書き方わからないので雑クオリティでいくからよろしくね!

 

アドベントカレンダーの担当日ももう半日過ぎてしまった……ごめんなさい。宣言通りに中原中也に関わることを書くけど、まあ「詩のここがこうで」って語るのも何なので、私と中原中也の出会いを書きます。

 

高校三年生の五月、受験勉強と部活の引退試合の向けた練習であまりに忙しく死んでいたある日、私は椎間板ヘルニアになりました。私の場合腰は痛くなくて、背中の神経が圧迫されて脚が痛くて痛くてたまりませんでした。まあつまり歩けないんですよね。二週間の車いす生活を経験しました。

学校に行けなかったので定期テストを受けられず、成績が自動で前回の八割の見込み点にされたことで指定校推薦が絶望的となり、また引退試合も出場できるか怪しくなりました。

絶望の淵に立たされた(大げさだと思うかもしれませんが、10代は繊細なんです)私の心が折れずに済んだのは、『100分de名著 中原中也詩集 絶望が言葉を生む』というNHKテキストでした。それまでにも中原中也の詩を読んだことはあったのですが、この時は以前よりも言葉の一つ一つが身に染みました。同時期に平山夢明の短編集なんかも読んでいました。無理に明るい内容のものに触れるのは逆効果でした。友人が太宰治の『人間失格』のことを「希望を持つための絶望文学」と呼んでいたのもこれに共通するのかもしれません。

 

こうして一日のほとんどを病院か家のベッドで過ごす日々を中原中也の詩を読んで過ごす日々を送った私は、文学部に進学することを決意しました。

それまでは受けたい学部も決められなかったんですww

 

まあ現役の時の受験は全落ちし、一浪で何とか今の大学に入学した私ですが、とても十事実した毎日を過ごせています。本当に幸せなことだなあと感じながらまあまあ忙しい一日のうちのそこそこの部分をべスフレに費やす日々です。

 

今年は受験をし、大学生になり、初めてライブ・フェスに行き、フランスへ留学し、ほかにもいろいろありましたけど、本当に充実した一年だったなあと思います。

 

そしてその充実にはやはりべスフレが欠かせませんでしたね。

 

二コフレ・べスフレがなかったら、出会わなかった人がたくさんいます。

この偶然に心からの感謝を。

 

今年一年もありがとうございました。

 

来年もお互い楽しく過ごせますように。

 

 

ベストなフレンズたちへ

 

ナナナより

 

 

 

ギリギリ1000文字超えたからもういいかな!!!!!!!!!!!