ナナナの本棚

好きなことを書いたり書かなかったり。

クリスマスだとしても中也

ベストなフレンズのみんな、こんにちは。ナナナだよ。

ありがたいことにろびにゃんに誘ってもらえたのでアドカレ7日目担当することになった。

ナナナという名前だから7日担当なのだろうかと少し考えたが、ろびにゃんが何を思って私を7日担当にしたかは不明である。

 

 

 

さて、クリスマスである。一応アドベントカレンダーであることだしクリスマスの話をしよう。 

正直クリスマスだからといって予定はなにもない。だが思い返せば昔はしっかりクリスマスの恩恵を受けていた。

 

みんなのところにはいつごろまでサンタクロースは来たのだろうか。私のところには小学校高学年になるまで律儀に現れていた。

ある年のクリスマス、プレゼントと一緒に置かれたサンタの手紙にこうあった。

(我が家に来るサンタはいつも英語とその日本語訳の手紙を置いっていた)

 

「ナナナちゃんはもうすぐ○歳になるね(実際何歳だったか覚えていない)。世界にはたくさん子どもたちがいて、プレゼントをあげなきゃいけない子どもがどんんどん増える。これからはナナナちゃんより小さい子にプレゼントを渡さなきゃいけないから今年で終わりだよ」

 

そんな内容だったと思う。素直な私はサンタの言い分に納得した。なお小学六年生くらいまでなんとなくサンタを信じていた。

今思えば転勤やらなんやらで家計が厳しい時期だったのだろう。親はクリスマス文化のせいで子どもに高額なものをねだられる機会が増えて大変だなと思う。たしか当時の私は子どもなりに家計を案じていた記憶はあるが、サンタはどこからか来ていると本気で信じていたためサンタにねだるプレゼント(12月、枕の下に手紙を入れておくとサンタが回収するシステムだった)には遠慮がなかった覚えがある。最後の年は『ハリー・ポッター』のハーマイオニーの耳あてをもらった気がする。ふわふわで肌触りがいい代わりに音がほぼ遮断されてしまい外で使うには少し怖い代物であった。そのせいで耳あてとして本来の役割を全うした回数は両手に収まるほどだった。

 

今ではクリスマスプレゼントという文化は我が家には存在しない。もはや誕生日プレゼントも日が近くなったら適当にものをねだって終わる。今年の誕生日は私が母親にあげたもののほうが高かった。私がもらったのは岩波文庫のブックカバーで、母親にあげたのはぐでたまの時計(二万円)で、父親にはコウペンちゃん(全肯定してくれる例のペンギン)のぬいぐるみ。ちなみに父親は毎晩ペンギンと寝ている(かなり喜んでいる)。先日コウペンちゃんがトナカイの角のカチューシャをむりやり頭に着けられていた。主犯は母親だ。少し苦しそうだがとても愛くるしい。

また、プレセントの文化は消えたが相変わらずクリスマスの晩の料理は豪華なのが我が家だ。毎年鳥の丸焼きが食卓に登場する。しかし丸焼きそのものがメインなのではない。その残骸で後日作るオムライスが絶品だから作るのだ。

そろそろクリスマスネタが切れたな。致し方ない。そもそもクリスマスに興味がないのだ。去年なんかは友達とクリぼっち()の集まりと称して飲み会なぞもしたが、このコロナ禍ではそのようなこともない。そもそもクリスマスに集まるという風潮自体が存在なければクリぼっちは存在しないのだ。

 

去年このブログにアドベントカレンダーの記事を書いてからちょうど一年近くなる。一年は早いものだ。今年は特にそう感じる。

 

いつも相手してくれるみんなに心からの感謝を。これからもよろしく。

 

 

 

 

 

―——これより下、中也の話しかないので興味がない人はUターンを推奨

 

 

 

 

 

今年は私にとってより中原中也信仰を深められた一年だった。

 

何度かトゥートしたが、今季私は大学のとある授業を聴講させてもらっている。実はこの授業、春に時間割を決める抽選で落ちてしまったのだが、抽選落ちした翌日に担当の先生に嘆願書を速達で送りつけて受けさせてもらっている授業なのだ。この授業はとても興味深い。中原中也への興味故に文学部に入学した者であるし自分でもいくらか詩歌について勉強してはいたが、日本の近代詩を体系的に把握するには及んでいなかった。そしてこの授業は1928年頃から時代を把握するのにふさわしい詩を選んで一つ一つ学生たちで分析し議論する授業なので、私の興味がある分野を学ぶには最適というわけである。残念ながら下調べや分析にやる気のない学生もおり議論が十分に行えない回もあるが、毎回担当の先生が詩の分析の仕方や時代的背景に言及するため大変勉強になる。私は聴講の学生であるため残念ながら自ら中也について発表する機会は得られなかったが、他の学生の「汚れつちまつた悲しみに……」の発表の質疑応答に参加することはできた。また自分でも「帰郷」のレジュメを作り先生に送りつけ、「とてもこまやかな解釈で良いと思います。」とのお言葉をいただいた(お忙しい先生にとって見れば甚だ迷惑であろうが私は満足した)。

 

これまで大学では一年次に日本文学史という授業も受けたが、残念ながら授業時間が足らず大正で終わってしまった(日本近代詩の本番は昭和からなのだ)。万葉集漢詩を扱う授業をとったこともあるが、近現代の詩歌に関してはほとんど触れられることがなかったため、この授業は私にとって大変貴重な機会だった。残りの授業時数が少ないのが残念でならない。しかしなぜ日本文学の学科において詩歌を扱う授業はこんなにも少ないのだろうか。詩歌はこんなにも美しいのに。本音を言えば詩に限らず短歌や俳句についても学びたいのだが、なかなかその機会はない。詩歌の授業はほかの大学にもないのかと調べたことがあるが、私が行ける範囲の大学にはなかった。悲しい。伊勢物語源氏物語の和歌について扱うのが大好きな教授は多いが近現代詩歌を専門とする人は少ない。私はとても悲しい。

 

 

さて、つい最近父親に「中也のアウトローなところが好きなんでしょ?」と言われた。その場で父親には反論した。私は勿論中也本人を敬愛しているが、それは彼の詩に対する姿勢にであって彼の酒癖の悪さや数々の悪行に対してではない。愛しているのは彼の詩と詩心である。

しかし思えば「中原中也が好き」と叫ぶことと「中原中也を好きになったきっかけ」を語ることしかしていなかったような気がしたため、私なりに中原中也とその作品の良さをまとめてみようと思う。

 

 

 

中原中也の良さ

 

まず、中原中也は決して「いい人」ではない。酒が入ると人に絡んで口論になる、軒灯を壊して捕まる、元同居人を取っ組み合いになる、実家に金をせびって一生涯定職につかない等々のエピソードがたくさん残っている。ここだけを見れば最低な人間だが、彼には詩があった。中原中也は書き続ける詩人だった。書くのをやめた時期もないわけではないが、彼は友人の家に同居人の女が出ていってしまっても、弟や父が死んでも、最愛の息子が死んでも、それでも詩を書き続けた。

中也は実生活における自分が傷つくほど書けたのではと思ってしまうほど、苦しみの中で多くの詩を書いた。私は中原中也のこの特徴こそが現代において中原中也が特に人気の詩人のひとりであり続ける理由なのではないかと思う。中也の詩に滲む苦しみも悲しみも、程度の差はあれど生きていれば皆が経験するものだ。そこに共感し、感情移入し、わけもわからず涙する。だから中也の詩は死後何年経っても読まれるのではないだろうか。少なくとも私の場合はそうだった。

 

 

 

中原中也の詩の良さ

 

中原中也の詩にはそれほど難しい語彙がない。「そんなことない」と思う人もいるだろうが、当時の他の詩人と比較した場合の話である。また題材も平易で、書かれた内容を要約するととても平凡になってしまうことも多い。中也の詩は平易であるため翻訳すると子供っぽくて海外では人気がないという話もある。つまり中也の詩の見どころ(読みどころ)は、日本語だからこそできる表現にあるということだ。

私が中也の詩の読むときは声に出すか頭の中で音読する。そのリズムの味わう。中也は字の配置にこだわるのが好きだ。行やマスの開け方を考え抜いている。そこから中也の求めたリズムを推定する。もちろん受け取り方は読み手の自由だが、わたしの場合中也がちりばめたヒントをもとに解釈することを楽しんでいる。

「なぜこの言葉は平仮名(漢字)なのか」「なぜこの漢字には振り仮名がある(ない)のか」「なぜこの詩は文語(口語)なのか」

考え始めるときりがない。

考えすぎだと思う人もいるだろう。 しかし考えることが楽しいのだ。

何も考えずに詩歌を読むのももちろん悪い事ではない。それによってのみ味わうことのできるその作品の良さもある。

だが私は文学部に入って作品を解釈する楽しさを知ってしまった。資料や先行研究をかき集めそれを根拠として自分なりの読み方を構築する作業は私に文学との新たな付き合い方を教えてくれた。

中也についてのレジュメを書いたと前述したが、宮沢賢治谷崎潤一郎の作品についても自分なりに論じたことがあった。しかし愛してやまない中也について書くとなるとその楽しさは一入であった。単位にならないレジュメを書くのが一番楽しいとは何とも皮肉な話である。

限られた時間と資料(図書館の資料がなかなか発送されず結局間に合わなかった)の中で書いたのでまだまだ改善点は多いが、せっかくなのでここにもそのレジュメを載せてしまおうと思う。誰も興味ないだろうが。まあ、もしも気が向いたら見ていってほしい。

 

以上、書きたいことは書けたので終わろうと思う。ほぼ4千文字になってしまった。去年との落差が激しいアドベントカレンダーの投稿になったが、これもまたよし。ということにしておこう。

 

最後まで読んでくれた勇気ある暇人に感謝を。

 

 

ナナナ

 

追記:誤字脱字があっても脳内補完して見逃してくれ