ナナナの本棚

好きなことを書いたり書かなかったり。

死について

 

 私が「死」というものを意識したのはいつだっただろうか。正直なところはっきりとは思い出せない。曾祖母と祖父母を亡くしたのはそれぞれ小学校高学年、中学二年生、高校二年生のときだったが、私にはそのことを契機として「死」を考えることはなかった。それほど親族との関係が薄かったのだ。年に数回親に促されて電話させられたり家に泊まりに行かされたりする血がつながっているらしい人たちという、あまりに薄情な認識で彼らのことを見ていた。祖父母は私をかわいがってくれたようにも思うが、私からすれば児童館の職員との関係と同程度の親しみだった。

 祖母の葬式で母親に言われた言葉は今でも覚えている。

 

「あなた好きなアニメのキャラが死んだら泣くのに、おばあちゃんが死んでも泣かないのね」

 

 祖母は父の母なので私の母にとっては義母であるが、祖母の葬式で母は号泣していた。だからこそ涙一つ見せない私に母はこう言ったんだろう。従兄弟も泣いていた。彼は両親が共働きでよく祖母の家に預けられていたから、私より深い親しみを祖母に抱いていたに違いないので、取り乱す気持ちもわかる。しかしなぜ母が泣くのか私には全くわからなかった。私はよく母から祖母の愚痴を聞かされていた。祖母が私の父に対して甘い、ということがそのほとんどであった。そのため私は薄ぼんやりと「母は祖母が嫌いなのだろうな」と思っていた。

 しかし母は泣いていた。そして泣かない私を責めた。あれほど顔を顰めて祖母の愚痴(もはや悪口に近い)を言っていたのに、そんなことが言えるのかと思った。しかも「アニメのキャラが死んだら泣くのに」と母は言った。

 その後ずっと「フィクションには泣けるのに現実の人間の死には泣けない私は薄情なのだろう」と思っていた。そして薄情な自分を恥じた。しかし今では恥じることもないような気がしている。自他ともに認めるゆるい涙腺を持つ私だが、泣く気がしないときもあるのだ。親族の葬式に出ても心が動くことはなかった。私にとってほぼ他人だであるあの人たちがどのように生きてどう死んだのか、私はほとんど知らなかった。

 

 漫画『ONE PIECE』のキャラクターであるヒルルクは、人は忘れられたときに死ぬと言った。

 私が普段読んでいる本の作者は9割が既に他界している。

 私が読み、彼らについて書き、そして後世に伝える努力をすることで、彼らは生き続けられるのだろうか。